空と海の彼方

機能不全家族のなかで育ち、アスペルガー症候群と診断が下りたみかんの日々を綴っています。ひっそりと暮らしたい。

空虚感について

 ただ生きているだけで、得体の知れない空虚感、焦燥感を感じる。この感覚の原因について考えています。
 私が育った家庭は父と母、年の離れた弟と父方の祖父母の三世代同居家庭でした。一見すると、普通の家庭でしたが、実情は祖母と母の仲が悪く、幼稚園時代、小学生時代と幼い頃から、母と祖母のクッション材のような存在となっていました。幼稚園児にして母が祖母との間に起きた諍いの愚痴を聞く役割を負っている状態でした。父はどうしていたのかというと、祖母寄りの立場をとっていました。彼もまた母のいない場で、母の愚痴を言っていました。この流れから、幼い私は人間不信と結婚への嫌悪感を覚えたました。  

 人を信じることができない、頼ることができないということがどれほど苦しく、辛いことか私なりに人と話すようになってきた際に理解できるようになってきました。
 不信感と空虚感によって、私自分の身に起こっていることがどこか遠くのことのように感じる状態が長く続きました。

 新年早々、今となっては下らない理由で父から蹴られたことがあったのだが、父は私が思い通りに動かないとよく怒鳴りつけるもしくは、叩くということがあり、人の気持ちに鈍い人物でした。父は高校を卒業すると、すぐに就職して働きに出ており、祖母父は国公立大学の進学しか認めておらず、父は不本意ながら進学をあきらめる形となっていました。
 そのせいなのだろうか父はやたらと私の教育に熱心でした。私が長子だということもあるのか、やたら一方的な期待をしていました。彼のなかで理想の子供像、人物像があり、それに私を当てはめようとしてきたことが苦痛でした。彼のなかで、いつも明るく元気でいること、成績もよく、運動が好きだとよろしいようでした。無気力だった私にとって、「いつも明るく元気で」、は非常に暴力的でした。
今でも印象に残っていることは、小学生の頃の運動会のことです。正直に言うと、運動会になんて来たくなかった私は、暗澹たる思いで他の生徒が運動に興じている姿を眺めていました。
 父が運動会に来ていたのですが、私の幼馴染が私のことを暗いと評していたことを父が耳にし、私にもう少し明るくできないのかとそう言ってきたのでした。父が押し付けてくる「明るく、元気に」が本当に重く感じたし、他者からの目線を優先したことにショックを受けました。父も母も他者からの目線を私よりも優先していました。このことは私の後の考え方や価値観にも深く影響していくことになります。自分のなかの軸という非常に重要なものを他者からの評価という、曖昧なものに頼り、苦しむことになります。